「私の財布、あなたが盗ったでしょう」。毎日ごはんを作って、薬を管理して、通院に付き添っている——その自分が、泥棒だと言われる。否定しても信じてもらえず、他の親族にまで言いふらされる。いちばん世話をしている人が、いちばん疑われる。
結論からいうと、これは「物とられ妄想」と呼ばれる症状で、あなたが疑われているのは、あなたがいちばん近くにいるからです。国立長寿医療研究センターは、これをアルツハイマー型認知症の初期に多くみられる状態とし、原因を物忘れが進行して置き忘れ・しまい忘れが多くなり、それが「周りの人間が盗んだ」という解釈につながっていくと説明しています。
そして対応には、知らないと逆効果になるひとつの鉄則があります。一緒に探すのは正解、でも介護者が見つけてはいけない、というものです。理由は後で説明します。
物盗られ妄想とは何ですか?
国立長寿医療研究センターは、次のように定義しています。
自分の持ち物を盗まれたと信じ込み、周りが何と言おうと考えを変えない状態を「物とられ妄想」といいます。アルツハイマー型認知症の初期に多くみられる状態です。
ここで大事なのは、**「初期に多くみられる」**という部分です。「まだしっかりしているのに、なぜ?」と感じるのは自然なことで、実際、会話も家事もできる段階で起こります。だから家族は「認知症のせい」と思えず、「性格が変わった」「自分が嫌われている」と受け取ってしまいがちです。
原因についても、同センターははっきり書いています。
原因は、物忘れが進行して、置き忘れ、しまい忘れが多くなり、それが「周りの人間が盗んだ」という解釈につながっていきます。
つまり本人の中では、順序はこうなっています。
- 財布をしまう
- しまったこと自体を忘れる
- 財布が無い
- 自分でどこかにやった記憶が無い以上、誰かが持っていったとしか考えられない
**嘘でも、意地悪でも、演技でもありません。**本人にとっては、残っている情報から導き出せる唯一の結論です。
同センターは別のQ&Aで、ものをなくしたり、仕舞い場所がわからなくなり、パニックになって「物取られ妄想」に進展してくケースが少なくありませんとも述べています。パニックという言葉が使われている点は覚えておく価値があります。責めているのではなく、慌てているのです。
なぜ、いちばん介護している人が疑われるのですか?
国立長寿医療研究センターは、犯人にされる相手についても具体的に触れています。
盗んだ犯人扱いされるのはお嫁さんが多いですが、最近は息子さん、お孫さんも多くなっている印象です。
理由は、身近にいる人ほど「その場にいた人」として説明がつきやすいからだと考えられます。遠くに住んでいて年に数回しか来ない兄弟は、疑われません。毎日来ている人だけが疑われます。
ここが、この症状のいちばん残酷なところです。そして同時に、あなたが受け取るべきでないメッセージでもあります。
- 疑われるのは、関係が悪いからではありません
- 疑われるのは、あなたが何か落ち度を作ったからではありません
- 疑われるのは、あなたがいちばん近くにいるからです
理不尽さは、これを知っても消えません。ただ、「自分の何がいけなかったんだろう」と原因を自分の中に探しはじめると、際限がありません。探しても見つからない原因を探すのをやめることは、介護を続けるために必要な線引きです。
頭から否定してはいけないのはなぜですか?
国立長寿医療研究センターは、対処方法をこう示しています。
対処方法としては頭から否定せずに。まずは一緒に探すなど気持ちに寄り添う努力を惜しまないようにします。
「盗ってない」と証明しようとすると、話は平行線になります。本人にとっては「無くなった」が動かせない事実なので、否定は**「無くなっていない」と言われている**ように聞こえます。
そして認知症では、出来事そのものの記憶は残らなくても、責められた・疑いを向けられたという感情のほうが残りやすいといわれます。つまり口論そのものは忘れられても、「この人といると嫌な気持ちになる」という感触だけが積み上がっていきます。これは認知症の親への接し方でも共通する考え方です。
同センターは、強引に制止したりすることも妄想をさらに悪化させてしまうので注意して下さいとも明記しています。「もうやめて」と探し物を止めさせるのも、逆効果になりえます。
やってしまいがちな対応
| つい言ってしまうこと | 何が起きるか |
|---|---|
| 「盗ってないよ」「誰も盗らないよ」 | 「無くなった」という事実を否定されたと受け取られ、平行線になる |
| 「昨日も同じこと言ってたよ」 | 本人には記憶が無いので、責められた感情だけが残る |
| 「またか」と取り合わない | 不安が解消されず、探し物が長引く/他の家族に訴えが向かう |
| 探すのを力ずくで止める | 妄想を悪化させる要因になると指摘されている |
| 自分で見つけて手渡す | 次の節のとおり、疑いを強める可能性がある |
「介護者が見つけてはいけない」とはどういうことですか?
ここが、この記事でいちばんお伝えしたい点です。国立長寿医療研究センターは、探し物への対応として次のように述べています。
妄想が出現した時は、しばらく見守るのではなく、早めに対応することで、本人の不安が和らぎます。いつも同じものを探している場合は、一緒に探し、本人が見つけられるように「ここでしょうかね?」と誘導してあげてください。
そして、続けてこう注意しています。
しかし、介護者が見つけてしまうと、介護者に対して被害妄想の誘因となってしまうので、注意が必要です。
つまり、善意で先に見つけて「あったよ」と手渡す行為が、「やっぱりこの人が持っていたんだ」という確信の材料になりうるということです。
良かれと思ってやることが裏目に出る、数少ないパターンのひとつです。
だから、こう探す
- **先に見つけない。**タンスの奥に見えていても、黙って手は出さない
- 本人の視線を誘導する。「ここでしょうかね?」「この引き出しはもう見ましたか?」と、本人が開けるように促す
- **本人の手で発見してもらう。**見つけた瞬間に「あった、よかったですね」と一緒に安心する
- **見つかった後は置き場所を整える。**同センターは、なくなったものがでてきたら、わかりやすいところに置きなおしましょうとしています
すでに置き場所が分かってしまっている場合は、そこへさりげなく近づけるのが実務的です。「お茶を淹れる前に、ちょっとこの棚だけ見てみましょうか」といった形で、本人が開ける流れを作ります。
早めに動く
見落とされやすいのが、**「しばらく見守る」ではなく「早めに対応する」**という点です。放っておけば忘れるだろうと様子を見ていると、その間ずっと本人は不安の中にいて、探す時間が長引き、結果として家族の負担も増えます。始まった時点で一緒に探しはじめるほうが、早く終わります。
探す前に減らしておけること
同センターは、事前の工夫も挙げています。
また、タンスなど物が入っている所に、何がしまってあるかわかるシールなどの目印を貼ることも有用です。例えば、印鑑・財布・バックなど。
そして通帳については、こう述べています。
通帳はきまった場所に管理し、少し進行したケースでは、古い通帳をいくつか分散して隠しておいて「ない」といったら一緒に探して見つかる演出も、有効です。
すでに使っていない古い通帳を「見つかるもの」として用意しておくという考え方です。本人が探して、本人が見つけられる状態を先に作っておく、ということになります。
まとめると、事前にできるのは次のようなことです。
- 置き場所を1か所に固定する(財布・印鑑・通帳・鍵)
- その場所にシールなどの目印を貼る(何が入っているか外から分かるように)
- 探しているものの「予備」を用意する(見つかる体験を作れる)
- 大金や重要書類は本人の手元から減らす(無くなったときの実害を小さくしておく)
最後の点には注意が必要です。**本人に無断で全部片づけてしまうと、「やっぱり誰かが持っていった」を裏づける結果になりかねません。**減らすなら、本人がいるところで、本人に説明しながら、少しずつ行うのが安全です。
見えにくさが原因になっていることがあります
これは、あまり書かれていない指摘です。国立長寿医療研究センターは、こう述べています。
視力低下、眼鏡が合わないといったことも案外、妄想の増悪因子になりえますので、その治療をしましょう。
**見えていなければ、そこにあっても「無い」ことになります。**目の前の棚にある財布が見えず、「無くなった」が積み重なれば、妄想は強まります。
- 最後に眼科を受診したのはいつですか
- 眼鏡の度は合っていますか。何年使っていますか
- 白内障を指摘されたことはありませんか
眼科の受診は、「認知症の検査に行こう」より、はるかに切り出しやすいという現実的な利点もあります。「最近、新聞が読みにくそうだから」という理由なら、本人も受け入れやすいことがあります。認知症の受診を嫌がる段階でも、ここからなら入れる場合があります。
本当に無くなっている可能性も、一度だけ確認する
すべてを症状として片づけないでください。高齢者は、訪問販売や特殊詐欺の被害に遭いやすい立場にもあります。「お金が無くなった」という訴えが、事実である可能性はゼロではありません。
疑い続ける必要はありませんが、最初の一度だけ、事実確認をしておくと後が楽になります。
- 通帳を記帳して、身に覚えのない出金がないかを見る
- クレジットカードや電子マネーの利用明細を確認する
- 家に見慣れない契約書・領収書・段ボールが増えていないか見る
確認して問題がなければ、以降は安心して「症状として対応する」に切り替えられます。確認していないと、家族の側も心のどこかで疑い続けることになり、対応がぶれます。
きょうだいで認識を合わせておく
物盗られ妄想がつらいのは、本人との関係だけではありません。訴えを聞いた他の親族が、本気にしてしまうことがあります。
国立長寿医療研究センターは、この点にも触れています。
兄弟の間で、物取られ妄想について十分認識を一致させることが、家庭内トラブル防止に有効です。
**症状が出てからでは、説明が言い訳に聞こえます。**まだ大きな騒ぎになっていないうちに、離れて暮らすきょうだいへ先に伝えておくのが有効です。
伝えるときは、次の3点だけで足ります。
- こういう症状があること(アルツハイマー型認知症の初期に多い、と説明されている)
- いちばん近くにいる人が疑われる仕組みであること
- もし自分が犯人だと言われても、真に受けないでほしいこと
この記事のURLをそのまま送ってもらっても構いません。第三者の説明があるほうが、身内の弁明より通りやすいことがあります。
お金の管理そのものが不安な段階に来ているなら、成年後見制度や家族信託という選択肢もあります。使い込みを疑われないためにも、記録が残る形にしておくことは、結果的に自分を守ります。
怒りが出てきたときの逃がし方
国立長寿医療研究センターは、探し物の場面でこう述べています。
探し物をしているときに、怒り出してしまったら、他の家族に代わってもらうことも有用です。
**あなたが対応をやめることは、逃げではなく有効な手段だと明記されています。**疑われている当人が対応し続けるより、疑われていない人が入ったほうが早く収まることがあります。
同居家族がいない場合は、その場を離れるだけでも構いません。別室に行く、洗濯物を取り込みに出る、5分だけ外の空気を吸う。その場から一度離れることは、放置ではありません。
もし「手を上げてしまいそうだ」と感じることがあったら、それは限界のサインです。厚生労働省は高齢者虐待防止の相談窓口を案内しており、通報のためではなく、家族を支えるための窓口でもあります。介護疲れ・介護うつも、あわせて読んでみてください。ひとりで抱えないことが、いちばんの予防になります。
家族だけで抱えないために
物盗られ妄想は、家族の頑張りでは解決しにくい症状のひとつです。工夫で頻度は下げられても、原因である物忘れは進みます。
相談先は、次のとおりです。
- 地域包括支援センター——介護の相談の入口。無料。地域包括支援センターとは
- ケアマネジャー——すでに介護保険を使っているなら、まずここへ。ケアマネの選び方・変更
- もの忘れ専門外来——妄想が強く、怒りっぽい状況が続く場合。国立長寿医療研究センターも受診を選択肢として挙げています
- 眼科——上で書いたとおり、見えにくさが増悪因子になっている場合があります
介護保険のサービスを使って、本人と離れる時間を確保することも有効です。デイサービスやショートステイは、本人の日中の活動になると同時に、家族が疑いの目から離れる時間にもなります。介護サービスの種類、デイサービスとデイケアの違い、ショートステイとはもあわせてどうぞ。
在宅の限界を感じたら
「疑われながら世話を続ける」というのは、体力よりも先に、気持ちのほうが削れていきます。工夫を尽くしても改善せず、顔を合わせるのがつらくなってきたなら、それは家族の愛情が足りないからではなく、家族という関係のままでは支えきれない段階に来たというサインです。
施設のスタッフは、疑われても関係が壊れない距離で関わることができます。プロに任せることは、投げ出すことではありません。
認知症の方の住まいとしては、少人数で家庭的な環境のグループホームが代表的な選択肢です。認知症の方向け施設一覧から、お住まいの地域の施設を確認できます。施設選びの考え方は認知症の親の施設選び、親が入居を嫌がる場合は親が施設を嫌がるときを参考にしてください。
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- 介護疲れ・介護うつ——限界の前に休む方法
出典・参考
- 国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター「認知症の人と上手に向き合うために」対応に困る言動との向き合いかた(妄想・繰り返しの項:物とられ妄想の定義=自分の持ち物を盗まれたと信じ込み周りが何と言おうと考えを変えない状態/アルツハイマー型認知症の初期に多くみられる/原因=物忘れが進行して置き忘れ・しまい忘れが多くなり「周りの人間が盗んだ」という解釈につながる/犯人扱いされるのはお嫁さんが多いが最近は息子・孫も多くなっている印象/対処=頭から否定せずまずは一緒に探すなど気持ちに寄り添う・なくなったものがでてきたらわかりやすいところに置きなおす/視力低下・眼鏡が合わないことも妄想の増悪因子になりえる/妄想が出現した時は見守るのでなく早めに対応する・本人が見つけられるように「ここでしょうかね?」と誘導する・介護者が見つけてしまうと介護者に対して被害妄想の誘因となる・強引な制止は妄想を悪化させる・タンス等にシールなどの目印を貼る・怒り出したら他の家族に代わってもらう・妄想が強く怒りっぽい状況が続けばもの忘れ専門外来の受診も方法):https://www.ncgg.go.jp/dementia/with/face.html
- 国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター「認知症の人と上手に向き合うために」よくある質問(ものをなくしたり仕舞い場所がわからなくなりパニックになって「物取られ妄想」に進展するケースが少なくない/通帳はきまった場所に管理し、少し進行したケースでは古い通帳をいくつか分散して隠しておいて一緒に探して見つかる演出も有効/兄弟の間で物取られ妄想について十分認識を一致させることが家庭内トラブル防止に有効):https://www.ncgg.go.jp/dementia/with/answer.html
- 厚生労働省「認知症施策」(認知症の理解と地域で支える取り組み・相談先):https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/ninchi/index.html
- 厚生労働省「高齢者虐待防止」(高齢者虐待の防止・養護者の支援に関する情報と相談窓口):https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/boushi/index.html
まとめ
- 物とられ妄想は、アルツハイマー型認知症の初期に多くみられる症状。嘘でも意地悪でもなく、置き忘れ・しまい忘れの説明として「盗まれた」に行き着いた状態
- いちばん近くにいる人が疑われる。関係が悪いからでも、あなたに落ち度があるからでもない
- 頭から否定しない。一緒に探す。ただし介護者が見つけてはいけない——見つけて手渡すと、疑いを強める材料になりうる
- 「ここでしょうかね?」と誘導し、本人の手で見つけてもらう。見つかったら分かりやすい場所に置きなおす
- 見守るより早めに動くほうが、結果的に早く収まる
- 視力低下・眼鏡の不一致が増悪因子になりうる。眼科は認知症の受診より切り出しやすい
- 最初の一度だけ、通帳や明細で実際の被害がないか確認しておく
- きょうだいには症状が出る前に説明しておく。後からでは言い訳に聞こえる
- 怒りが出たら他の家族に代わる/その場を離れる。逃げではなく、有効な手段として示されている
- 疑われながら支え続けるのがつらくなったら、それは関係の限界のサイン。認知症の方向け施設一覧から次の選択肢を確認できます